公共図書館における宗教書について 群馬支部 永井宝

研究の動機

書物は思想や信条の表現形態のひとつであり、公共図書館はこれら多様な書物を収集保存し人びとに提供する機関である。司書になった以上当該人物が好むと好まざるとにかかわらず書物の多様性ひいては思想や信条の多様性を尊重するという政治姿勢を選択しているのである。近年、世界では戦争や政治体制により思想や信条とその多様性が踏みにじられる事象が多発している。科学技術、とりわけ通信技術が発達していてもこれが人びとへの統制の手段となっている国もある。わが国では民主制、自由主義を謳歌しているようにみえるし人びともそう感じているようだ。司書は言論の自由という人権を保障すべき民主制社会に生活している政治的市民でもある。昨今の図書館や司書の状況を鑑みるにこうした政治姿勢を意図的無意図的に遮断し、図書館サービスに関する議論を技術的なものに矮小化しているように感じられる。また出版社からの図書の回収要請に議論した様子もなくたやすく応じる事例や一通信記者をあたかも図書館の権威のように扱い講師に招へいするなど図書館専門職としての意識と自律性が希薄化、劣化しているように感じられる。本研究で選書における司書の専門性と専門性を踏まえて司書のあり方を考えるきっかけとしたい。

 

研究の背景

選書論自体は多くの論者によってさまざまな選書論が提唱されている。図書館現場における実際の選書において慎重な判断が求められると考えられる世論が分かれる問題を扱ったものや疑似科学に関する書籍の選書についての先行研究も存在する。ただし選書論は抽象的なものや理想を述べるものも多く、必ずしも実際の選書の場面で活用できるとはいいがたい。具体的分野・テーマに絞った選書に関する研究も所蔵点数を統計処理したものや選書担当者へのインタビューなど示唆に富むものもある。これらは実態を解明している点で研究上意義はあると思われるが、選書担当者が選書における理論的な判断根拠を提示するものとはいえない。学術的研究が実践(図書館現場)へ寄与したいと考えるならば、選書のよりどころを整理提示することも必要だと考える。

 

研究の目的

慎重で繊細な判断が必要と思われる宗教書の受入を想定することで自己検閲に陥ることなく自律的な選書を行うために司書は「価値論」と「要求論」のほかに、どのような選書観と態度がとりうるかを模索し新たな選書観の提示の可能性を示すことを目的とする。なお、本研究における宗教書とはいわゆる新宗教に関する書籍をさす。

 

研究の方法

文献研究を主とし、一部所蔵調査を用いる。使用する文献は図書館に関する団体の宣言や声明、関係法令、選書に関する自治体の規則や規定、選書に関係すると思われる判例や事例、先行研究ならびに必要に応じて信教の自由についても言及する。所蔵調査は宗教書の所蔵状況の実態を示すために行う。

本研究では選書観を形作るものとして外的要因と内的要因を想定する。外的要因として、テキスト類ではどのような記述があるかを確認し、国内の自治体の選書基準を参照し、次いで図書館団体の宣言や声明類、図書館法や社会教育法などの法令、判例と事例を概観する。内的要因として倫理綱領や先行研究や関連思想を参照する。

 

研究の意義

具体的な分野の選書をとおして選書面における司書の専門性の内実を明らかにしうると考える。選書に関する知見を整理し提示することで現場における判断の一助になりうると考える。

宗教書とは

新宗教に関する本(新宗教…新興宗教ともいう(本研究では新宗教と表記)江戸後期・明治維新以後に創立された宗教。いわゆるカルトも含む。)

日本十新分類法(NDC)の分類

一般宗教学160/165と各宗教166/199に分ける。 分類に示されている宗教は、神道170、仏教180、キリスト教190、ほか道教、イスラム、ヒンズー教、ジャイナ教、ユダヤ教。 新宗教(NDCでは「新興宗教」)は、その他の宗教169に含め、宗派や教派がある場合はその下に含めるとしている。

所蔵状況調査(群馬県内)…実際にどのような教団のものがどのくらい所蔵されているか

教団
所蔵点数 171 34 21 129 49 46 13 82 16 112 19 149
所蔵館数 13

62%

6

29%

6

29%

11

53%

11

53%

8

38%

6

29%

6

29%

8

38%

16

76%

6

29%

18

86%

※教団名は匿名とした。群馬県立図書館ホームページ「横断検索」により2023年12月発表者による調査。検索対象館は同県立図書館を含め横断検索に参加している21自治体図書館。検索対象図書は教団側が発行したものとした。所蔵館らんの%は割合(小数点2位四捨五入)。

テキスト類

例:『蔵書構成と図書選択』河井弘志編 日本図書館協会

「選択は難しい」。「学術的なものから児童向け」、「文学的なものからプロパガンダ的[発表者注:布教・伝道的]な」ものまであり、「図書リスト等からでは[発表者注:現物をみないので]判断が難しい」。「ニューサイエンスや神秘主義ブーム[発表者注:今風にいうと「スピリチュアル」]も(略)選択を難しくしている」。

選択する際は「まず、学問的な対象として宗教をとらえたもの」で、「古典的な宗教家」や「聖人の伝記」、「教養的な信仰入門書」や「実践的な[発表者注:生きる上で糧になるような?]宗教書」を「揃えるとよい」。

 

各自治体の収集方針・選書基準(宗教に言及しているもの)

「思想・宗教上等の特定の資料に偏ることなく、中立・公平の立場から広い視野に立って」(「栃木県立図書館資料収集方針」Ⅱ.1)⇔「著者の思想的・宗教的・党派的な立場にとらわれて、その著作を排除することはしない」(「県立長野図書館資料収集方針」Ⅱ.2.(2))

「宗教書は、各宗教を理解するため収集するものとするが、特定の宗派に偏らぬよう留意する。また、宗教を伝道・布教することに主眼を置く資料は、原則として収集を避け、経典は歴史及び文化の背景となっているものについては収集する」(「安芸太田町立図書館資料収集等取扱要綱」第5条(3))

 

宣言や声明

「図書館の自由に関する宣言」(日本図書館協会)

「アメリカの図書館における宗教の扱い」(アメリカ図書館協会)※

「図書館職員は(略)排他的というより、抱含的な姿勢が求められる」

「特定宗教の信者にならずとも、様々な宗教についての情報がえられるような」

基準として、現代的な意義、永続的な価値、コミュニティの関心・ニーズ、芸術的・文学的な意味合い、コスト、形式、を挙げている。宗教関連の資料は隔離ではなく、加えていく、敬意をもつ、平等に扱う。

「アメリカの図書館における宗教の扱い:問答集」(アメリカ図書館協会)※

・コレクションについて・集会室について・展示について・チラシ類の配布について・利用者の宗教的信念

について・職員の宗教的信念について 「ミッションステートメントで示す目的や目標に沿うもの」、「多様な考え方があることを示せるように(略)価値中立的でなければならない」、「各宗教の聖典などの資料は公平に扱わなければならない」 ※この部分は「アメリカ図書館協会の宗教に係るガイドライン及び問答集(QA)」塩崎亮著 『聖学院大学論叢』31(1)、2018による)

法令

図書館法<社会教育法<教育基本法<日本国憲法

合衆国憲法 修正第1条

 

憲法の解釈や判例

信教の自由 「宗教上の教義を宣伝・普及する自由(布教の自由)は、直接には表現の自由の問題となる」(『憲法』芦部信喜著 岩波書店)、「宗教的人格権」=「静穏な精神的環境のなかで自己の信仰に基づいて生活を営む権利」(『憲法 別冊法学セミナー189 基本法コンメンタール』小林孝輔、芹沢斉編 日本評論社)

表現の自由 「ある人から発せられた表現が、ゆがめられることなく伝達されて、受け手に受領されるまでの一連の過程」の全体の自由(『憲法 別冊法学セミナー189 基本法コンメンタール』)

図書館裁判

船橋西図書館蔵書廃棄事件裁判

「著者が当該図書館またはこれを設置している地方自治体等に対して、その著書の購入を要求する権利を有していたからではない」(東京地判2003.9.9)、「市やその図書館の職員は、原告らが執筆した書籍を購入しなければならない法的義務を負うものではない」(同上)、「地方自治体が設置する図書館による図書等の購入はもともと価値中立的なものであって(略)一定の肯定的または否定的な社会的評価を与える行為ではない」(同上)、「ある図書が図書館によって購入されたことをもって、図書館がその図書について『読むに値する良識ある作品』であるとの肯定的な評価をあたえたものということはできない」(同上)

 

事例 『図書館の自由に関する事例33選』6(日本図書館協会図書館の自由に関する調査委員会編 日本図書館協会、1997)

 

「図書館員の倫理綱領」

 

選書観の内在的原理としての「ヒューマニズム」

選書の意識化・言語化されていない「価値基準」(『図書館は本をどう選ぶか』安井一徳著 勁草書房、2006)

人間として「普通は」「常識的に」「共感できるはず」のもの(同上)→人間の感情の中で素朴で根源的なもの?→言語化できない、選書の説明にはなりがたい→言語化しうる何らかの思考の枠組みが必要なのでは

 

「重層的非決定」

「多層的に重なった文化と観念の様態にたいして、どこかに重心を置くことを否定して、層ごとにおなじ重量で、非決定的に対応するということ」(『重層的な非決定へ』吉本隆明著 大和書房、1982)「それぞれの層に対応するもので、どれにも同等の重心が存在しており、また同時にどこにも重心が存在しない」(同上)「『アサヒグラフ』は高級で『アンアン』は低級だ」ということではなく、「『資本論』と『窓際のトットちゃん』をとおなじ水準で、まったくおなじ文体と言語で論ずべき」(同上)

Posted by tmk